波座物産の創業は50年。朝田慶太さんのお父様である朝田長兵衛さんが、故郷の気仙沼から上京して立ち上げた食品卸売り総合商社から始まった。それから十数年後、取引先の塩辛のメーカーが後継者の問題で工場を手放すことになり、そこを引き継ぐ形で、波座物産の看板を掲げた気仙沼工場がスタートしたのだという。
朝田さん自身は、気仙沼で生まれたものの、育ったのは東京。子ども時代の記憶に、気仙沼の海がある。
「子どもの時の気仙沼は、すごく遠い場所という印象があります。夏休みには、祖父母のいる気仙沼に、車で7時間ほどかけて帰省していました。気仙沼の海で遊んだ記憶はあるのですが、気仙沼の工場で父の仕事ぶりを見たことはありません。気仙沼は遠くにある田舎、最初はそんな場所でしたね。」
成長するにつれ帰省の機会も減り、気仙沼からは距離ができていった。そして、朝田さん自身も、波座物産とは別の会社に就職する決断をしていた。
「父のそばで、美味しいものを教えてもらっていたので、幼い時には料理人やコックに憧れていました。私は二人兄弟の長男なのでいずれ会社を継ぐのかもしれないと思ってはいたのですが、父から何か言われたことはなくて。就職が決まった際にも『絶対に戻って来いよ』という言葉はありませんでした。」
飲食店でアルバイトをしていた流れで、大学卒業後は多業態飲食店を展開する大手飲食企業に入社。平均客単価が高く、食材にこだわったダイニングバーに配属され、そこで飲食のいろはを学んだ。そして4年後、自分の中でそろそろ戻ろうか・・・という気持ちが芽生えて退社を決意。朝田さんが27歳の時、波座物産へ入社し自然な流れで会社を継ぐことになった。
波座物産には、朝田さんが入社する前から、売れ続けているロングセラー商品がある。それが「昔ながらの濃厚熟成塩辛」だ。昔から気仙沼の食卓には、手作りの塩辛が欠かせない。「家庭で手作りされているような、昔ながらの塩辛を食べたい」というお客様の声から塩辛づくりが始まった。
当時、工場長として商品開発を手がけ、現在は相談役として在席する大原富夫さんは、こう語る。
「何度も試作を繰り返し、7年もの歳月をかけて、ようやく昔ながらの濃厚熟成塩辛が誕生しました。
波座の塩辛は、一般的な塩辛の作り方と違い、肉厚のスルメイカを一夜干しして、旨みを凝縮します。この作業が難しく、理想の乾燥率を追求するため、毎日その数字をノートに手書きで記録しつづけました。レシピはありますが、イカの厚さや気温、乾燥率が異なるので、レシピ通りにはいきせん。毎日、職人の勘どころで、一定の味にしているのです。」
苦労の末に誕生した「昔ながらの濃厚熟成塩辛」は、1997年に第23回水産加工品評会 水産庁長官賞を受賞。波座物産の看板商品となった。
「塩辛は、日本全国どこにでもあるもので、地方の特色があって面白いんですよ。東北の気仙沼は、イカのワタを活かした濃厚な塩辛が主流です。
もともと塩辛は、保存食で発酵食品です。大量生産の塩辛は、発酵をあえて止めて、食べやすく作ってあるけれど、うちは発酵が生きた本物の塩辛です。時間が旨みに変わるんですね。
家庭でまねできないけれど、昔から気仙沼の家庭で作られてきたような、シンプルな味付けの塩辛を目指して、改良を続けています。」
東日本大震災から10年。いまだに色あせない記憶がある。
2011年3月11日、朝田さんは、商談のために新潟にいた。さあ新幹線で帰ろうというときに揺れが来て、当日は東京には戻れず、一睡もできなかった。工場とも連絡がとれない状況で、津波が気仙沼市街地に押し寄せ、大規模な火災の炎が街を飲み込むニュース映像に、息を飲んだという。翌日の新聞に、波座物産気仙沼工場の看板が写っていたので一縷(いちる)の望みにかけたが、現実はそう簡単なものではない。津波に襲われた工場は破損し、機械も商品も全て水浸しで、同じ場所での再開は絶望的だった。
とにかく一度、現地に行かなければいけない。震災から2週間後の3月28日、支援物資を自社トラックに積んで、気仙沼に向かった。道路の崩落やうねりなど悪路が続き、片道15時間ほどかかった。
「震災は、私だけではなく、誰もが経験したことのない未曽有の事態で、この先どうなるのか誰にも分かりませんでした。幸いなことに、当時工場で働いていた約20名の従業員は皆さん無事で、ほっとした反面、生活を守るためには一時的に解雇をして雇用保険をもらうしかない。この決断をした時が一番つらかったですね。」
津波で流されたレシピノート
イカの乾燥率を毎日記録していたノートは、数週間後、奇跡的に発見された。
先の見通しが立たない苦境にあっても、朝田さんは「また絶対一緒に仕事をしよう」と従業員の方々に工場の再建の決意を伝えた。
「気仙沼では、地元の多くの方とつながりができていました。企業の後継ぎや、地元で商売されている人など、自分と同世代で、同じ境遇や立場の仲間が、たくさんいることに気づいたんです。気仙沼の仲間達と交流が深まる中で、震災が起きました。みんながそれぞれに頑張る姿を目の当たりにして、私も前向きに動き始めなくてはいけないと、背中を押されました。」
朝田さんは、気仙沼以外の場所で看板商品の塩辛を作ることも検討した。実際に、函館工場で試作したものの、うまくいかなかった。
「函館工場には、塩辛を作る設備と人材が不足しており、昔ながらの濃厚熟成塩辛を作る環境ではありませんでした。塩辛作りは、職人の勘どころが重要で、ノウハウを教え、人材を一から育てるのにも時間がかかります。『最後は、人の手でないと旨い塩辛ができない』と分かり、やはり塩辛は、気仙沼に戻そうと決めました。」
震災の翌月には移転場所を探し始め、翌年11月1日に新工場を始動させた。約1年半での復活は、気仙沼市内では一番早かったのだという。工場の再開を従業員の方々も喜び、ほぼ全員が戻ってきてくれた。
新工場には、唯一持ち出せた旧工場の看板も設置した。
震災直後、ほぼ日刊イトイ新聞の糸井重里さんが気仙沼市内に被災地支援の事務所を開設した。朝田さんは、現地の友人からの紹介で糸井重里さんやスタッフを紹介してもらうことになる。これが大きな転機となった。
「『再建するなら、これまでと同じものを作ってもいいけれど、さらに違う形での発信も必要じゃないか』とアドバイスをくれました。そこで新たな商品開発と、ECサイトのリニューアルを決めました。すると、ご縁を頂いたデザイナーさんやライターさん、カメラマンさんが、我々に力を貸してくれたのです。ECサイト用の素材や印刷物など、すべてボランティアで手掛けてくれました。本当に苦しかった時期に、お金じゃないよと協力していただいたことは今でも心から感謝をしています。」
新工場が始動した翌年の2013年、プレミアム塩辛「樽熟成三十夜塩辛 波座」が誕生。波座の社名を掲げた塩辛には、これまでの商品開発とはまったく異なる第三者の視点がふんだんに取り入れられている。
プレミアム塩辛「樽熟成三十夜塩辛 波座」
通常の塩辛の1/3の量しか作ることができない逸品。
「我々の横のつながりだけだと、素材をそのまま商品名にした商品ばかりで、『波座(なぐら)』を商品名にする発想はなかったんです。社名を商品名にするからには、品質の良い物、自信を持って出せる物にしなくては。震災後に出逢った人達からいろいろな意見をもらいました。この波座のロゴは、デザイナーさんが無償で作ってくれたんですよ。そこで商品の付加価値を高めるデザインや、パッケージの重要性に気づきました。地方のメーカーは、商品の売り方やストーリーのある見せ方に、気づくのが難しいんです。」
震災後、新たな人とのつながりは、その後のビジネスに大きな影響を与え、波座物産を飛躍させた。波座物産のECサイトは、商品の付加価値が伝わる魅力的な作りへとイメージを一新。販路を広げオンラインストアで商品を購入できるようになり、SNSでも商品情報や塩辛レシピなどを多数発信するようになった。
ところが、工場を再建した3年後、塩辛の原料となるスルメイカの漁獲量が減り、価格が高騰、現在に至るまで苦戦を強いられることとなる。ちなみに2019年度の漁獲量はこの半世紀で最低のペースで、価格は右肩上がり。波座の工場がある函館漁港でも、恒例だった「函館いか祭り」や「朝イカ販売」が中止になっている。
「震災があって、ようやく新工場が軌道にのったら、原料の高騰です。以前と比べると、イカの価格は3〜4倍になっていますが、商品を値上げすると、売り上げが落ちます。なにか新しい手を打とうと考えていた矢先に、今度はコロナが来てしまった。正直なところ、非常に厳しいですね。」
「これまでは、一般向けの小売りよりも、飲食店や催事業者、観光地のお土産物屋さんなど、我々の名前がでない業務用をメインに、塩辛などの商品を供給していました。ところがコロナの影響で、売り上げが激減。現時点でも100%は戻っていません。」
コロナ禍において、日本全国、いや世界中で危機的状況にあえいでいる企業は多い。けれど朝田さんは非常に前向きにこの苦難を乗り越えようとしている。
朝田さんは持ち前の企画力を発揮し、矢継ぎ早に様々な新企画をリリースした。
社名にもある物産(卸売業)としての仕事も次々とこなして売り上げを順調に戻している。また、今年は今までにない塩辛の流通を目指すという。この春には斬新な発想で塩辛を販売する予定だ。今後の波座物産の取り組みに注目したい。
これからについて
「高い原料でも付加価値のつけられるクオリティの高い商品をしっかりと作り、ECサイトの充実やSNSでの発信を、これまで以上に強化していかなければいけません。
また、取引のあるメーカーに『世の中にない、まねできない商品を作ろう』と提案して、共同で新しい商品開発を行い、我々の販路を活かして販売することも必要です。実際、共同開発した新商品がコロナ禍以降に売上を伸ばし、ビジネスの大きな柱として会社を支えています。」
震災からの10年。誰もが予想だにしなかった未来に、私たちは立っている。
―震災で失ったものから今が生まれた。
コロナで失ったものもあるけれど、また何かが生まれる。―
幾度も苦難の時を乗り越えてきた朝田さんだからこその、説得力のある言葉だ。
Q. 波座物産の社名の由来はなんですか。
波の座と書いて「なぐら」。暖流と寒流とが重なる、潮の境目をさす言葉で、海鳥の群がりを目印に、昔の漁師達は漁をしたと言います。最高の食材や人材、情報が集まり、そこからさらに広がっていくように・・・そんな縁起の良い言葉を社名にしました。
Q. 先代の父に学んだこと。
父は、とても慎重派な人で、常日頃から「どの工程においても全て確認をすることが大切」と話しています。食品を扱う企業としては、これが一番の基礎であると学びました。
Q. 波座物産では、何名のスタッフが働いていますか。
現在は18名。震災の際に解雇した従業員は、波座物産の復活を待ち望んで、復帰してくれました。塩辛を開発した大原富夫さんと、その息子さんのように、2代で勤めてくれる方もいます。
Q. SNSを活用する時に意識していること。
SNSの写真は、すべて自分で撮って、アプリで編集も行います。シズルを感じられるような写真を心がけています。塩辛の食べ方を提案すると、反応がいいですね。
Q. サイトに掲載された塩辛レシピはどなたの考案ですか。
自分で作って美味しかった料理や、料理人の仲間からアドバイスをもらってアレンジしたレシピを掲載しています。特に反響がよかったのは、パスタや焼きそばなど、手軽に食べられる麺類のレシピです。
Q. 気仙沼を訪れる人におすすめの場所は。
なんといっても、気仙沼の市場。気仙沼は、水揚げ港なので、マグロ、メカジキ、カツオなど、リアルな魚を見ることができます。全国的にも気仙沼だけなのは、サメですね。陸揚げされたサメは迫力がありますよ。
Q. 自由になる時間をどう過ごされていますか。
週末にはサーフィン(ショートボード)を楽しんでいます。波に乗るという非日常的な感覚がとても気持ちよく、自然からいい刺激を受けています。サーフィン後の食事やお酒も、格別ですしね。(笑)
海は、我々の仕事に欠かせない大切な場所ですが、恐ろしい場所でもあります。海を間近に感じるサーフィンで、リラックスする一方で、自然の力への畏怖は、常に忘れずにいたいと思っています。
株式会社波座物産
専務取締役 朝田慶太
www.nagura-bussan.co.jp
サントリーのグループ会社、株式会社ダイナックを経て、株式会社波座物産へ27歳で入社。気仙沼工場の再建や新たな商品の開発を行う。自社製品で最も好きなのは、「昔ながらの濃厚熟成塩辛」。炊きたてごはんに塩辛をのせて、焼き海苔で巻いて食べるのがおすすめ。休日は、サーフィンに興じて、海で過ごす。
「今はリモートで何でもできますが、日ごろから商品開発や原料は、必ず現地に足を運んで、自分でしっかりと確かめます。」
「紙や商品ラベルは、触った時のマット感やつるつるとした手触りで、商品価値が変わります。リーフレットは、我々の想いをお客様に伝える重要なアイテムなので、羽車さんの店頭に出向き、紙選びからオーダーメイドで作りました。コピーライトやデザインの構成は、前述のコピーライターさんやデザイナーさんの力を借りています。」
「樽熟成三十夜塩辛波座」や「昔ながらの濃厚熟成塩辛」は、贈答用としてもご愛顧の多い商品です。リーフレットに載せた波座のロゴは、ただの印刷ではなく、印刷面の凹凸感が特徴的な活版印刷で高級感を出しました。」
サイズ | 80×160mm(#74カードを断裁) |
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紙 | #74カード コットン スノーホワイト 232.8g |
印刷 | デジタル印刷(両面) 活版印刷(片面) 断裁加工 折り筋加工 |
色 | ブラック(活版印刷) |
価格 | 500枚 42,750円/1,000枚 73,400円(+税) データ入稿0円 納期 校了後 8営業日 |