PEOPLE

モノクロで野の花を描く

モノクロで野の花を描く

片山 治之

イラストレーター

創業100周年、おめでとうございます。初めて杉浦さんにお会いしたのは、2000年の秋に開催した個展の会場でした。
その後、当時企画課の原直子さんからご連絡をいただいて、ポストカードに商品化しないかという提案がありました。
モノクロで描かれている野の花の作品を、派手な色でなく、伝統の”日本の色”を使ってポストカードを作りたいという彼女の熱心な提案を受けて、美しく落ち着いた色調のポストカードができました。

白黒の作品が見事に日本の色のポストカードとなって、今も販売され続けています。私にとっては思いもよらない嬉しい出来事でした。今もって若い人のエネルギーは凄いと感心するのみです。
紙の文化がきびしい時代になりつつありますが、良いものを作り続ける企業精神でこの難局を乗り切ってください。ますますのご発展に期待します。

繊細なイラストと伝統色が美しくマッチングしている

はじまりは羽車さん

はじまりは羽車さん

鈴木 信輔

デザイン事務所bold

私にとって決して忘れられない、羽車さんとの大きな関係があります。それは私がデザイナーとして独立したときに、はじめてお仕事を発注いただいたクライアントさん、それが羽車さんなんです。第一号なんです!仕事もなくデザイン事務所を構え、仕事もないのに展覧会を開き(写真はその時のもの)、そこに杉浦社長がいらっしゃって「会社に遊びにおいでよ」と一声かけてくれた所からデザイン事務所ボールドとしての歩みが始まりました。それはもう「デザイン事務所として認めるよ!」と言われているような勇気づけられる出来事で、今もキラキラと記憶の中にあります。(涙)

独立して初の展示「トンネルプロジェクト」(2012年)

その後も、作り込みすぎて終わりが見えなくなった工場マップ。トラにこだわった印刷サンプルなど、いつもデザインを大切にして頂き、楽しくお仕事を続けさせて頂いています。これからも素敵な羽車さんと色々なお仕事をご一緒させて下さい!100周年おめでとうございます!

羽車の印刷加工サンプル。
異なる質感や特徴を、トラやヒョウのモチーフで表現。

半世紀の関係

半世紀の関係

谷 昇

株式会社谷商店

40年ほど前のこと、私が入社したその日に、弊社二代目である谷 重太郎と挨拶にお伺いしたのが最初でした。それから毎日、松原の工場に古紙を引き取りに行く仕事に就きました。現場の皆さんとはすぐに仲良くなり、行くのが楽しかったのを思い出します。

当時の杉浦社長(現会長)はとにかく圧倒的な存在でした。仕事への接し方、話し方。さらに容姿は憧れで、今でも尊敬しております。

印象に残っていることは、羽友会という羽車さんを中心とした取引先の会で行った、年一回の旅行です。何度か杉浦会長と同じ部屋になって、緊張して眠れなかったのを覚えています。麻雀をしていたとき、リーチをかけられたのですが、ウトウト寝ている様子でしたので安心して牌を捨てたところ、大声で「ロン!」といわれ、しかも満貫でした。どんな時でも注意を怠ってはいけないと教えられました。

年に一度、羽友会の旅行にて(1997年)
右端が杉浦(現会長)、右から三番目が谷氏

100周年、誠におめでとうございます。出入りさせていただいて、ゆうに半世紀もの間、先代、私、そして四代目の昌樹までお世話になっています。100年の伝統と、そこから育まれた文化が感じられ、堂々とした今の”羽車”が眩しく映っています。さらに次の100年に向かって、大空へ飛び立たれますように、心よりお祈り申し上げます。

一対一の真剣勝負

一対一の真剣勝負

桑野 秀朗

桑野秀朗税理士事務所

少し昔の話になりますが、杉浦社長から経営者研修をして欲しいとの依頼がありました。私は、なまいきにも「簿記の3級もわからん者には、管理会計・原価計算を教えても意味がない」と、まるで対決するような返事をしました。社長からは「簿記の3級から教えてください」との連絡がありました。本気度が判りましたので、約10か月にわたる研修をスタートさせました。

まず私が「簿記の3級解説書」のサブノートを作成し、メールで送る。その後の研修時には、内容を理解しているか、指定したワークブックを解いたのかと、容赦なくぶつけました。また、完成度を試すために、3級の試験問題を解いてもらいました。(結果は……完璧でした)

一対一の真剣勝負の結果は、指示したとおりに時間のかかるワークブックを完成させておられることが判りました。その後は、研修の1か月前に課題図書を指定し、課題図書と私の作成したサブノートをよく読んでおくように伝えて、当日に解説するという研修会を重ねました。最後に自己啓発で有名なポール・Jマイヤーの「人間モティベーションの力」について、サブノートを作成し「人生には無限の可能性がある」「成功とは何か」「心構えと習慣」「目標設定によるモティベーション」について話をさせていただきました。

力強い手書きのタイトルから熱意が伝わってくる

社長の忙しさに対して何ら配慮しない、力を抜かない研修を通じてわかったことは、杉浦正樹社長の真摯な人柄に感動したことです。このたびは羽車創業100周年おめでとうございます!

200年を目指して

200年を目指して

野村 浩二

野村写真事務所

ウイングド・ウィールでの撮影や、パンフレットの撮影でお世話になりました。我ながら、雰囲気のある写真を撮らせて頂きました。商品の良さを出せたと思いますし、友人達にも勧めたりと、微力ながら宣伝もしました。

100周年という、長く会社を続けることの難しさは我々には想像も出来ませんが、日本には、より長きに続いている会社も多々あります。これからも200~300年と続きます様に応援しています。通過点としての100周年おめでとう御座います。

紙の風合いまで表現された、結婚式招待状のイメージカタログ

ホームグラウンドから巣立って

ホームグラウンドから巣立って

三原 美奈子

三原美奈子デザイン

一番に思い浮かぶのは、心斎橋のギャラリー カルタビアンカさんで、5年間毎年PAKECTION!の展覧会を開催させていただいたことです。PAKECTION!は、関西在住のパッケージデザイナー有志のグループで、カルタビアンカさんは私たちのホームグラウンドでした。展覧会の初日にはいつも羽車さんからお花が届き、会場も気持ちも華やぎました。

またいつだったか、ウィングド・ウィールの英文字のダイカットカードで「PAKECTION」と文字を綴ったものをいただいて、メンバー一同感激したのを覚えています。杉浦社長はじめ、社員の方も大勢見に来ていただきました。心斎橋から始まった展覧会も、昨年には全国10ヶ所、韓国にまで巡回し、ホームグラウンドから何とか巣立てたような気がしています。

大事な気持ちを手紙をしたためることは、何かを丁寧に包むことと似ているのかもしれません。私たちのパッケージ作品に共感を持って見ていただけたのは、羽車さんが「気持ちを包む」手紙文化を大切にされているからなのでしょう。

100周年おめでとうございます。この先も、羽車さんの封筒が良い便りを運んでくれますように!

かつてウイングドウィール心斎橋の2階にあった、ギャラリーカルタビアンカでの展示風景。

日本とパリで築いた二代の関係

日本とパリで築いた二代の関係

Vanessa Barth(ヴァネッサ バース)

カリグランヌ

私は、主人と二人でパリのマレ地区にて「紙」をテーマにした、ステーショナリーやアート作品などを扱うお店を構えています。羽車と最初に取り引きを始めたのは、私の母がお店を切り盛りしていた時代のこと。当時、日本の紙製品を探していた母が、偶然にも羽車の個性的な封筒を目にしたことがきっかけで、直接コンタクトをとり、羽車の美しい商品を取り扱うことになりました。代表の杉浦(マサキ)さんとは、お互いに両国を訪れた際には必ずゆっくりと時間を取って話し合う仲で、家族も素晴らしい絆で繋がっています。国も言葉も違う中で、二代に渡ってビジネスを超えた信頼関係を築けることは、大変嬉しいことです。
羽車の商品の中で私がお気に入りのカードは700番シリーズです。小さなサイズのカードに立体的でかわいらしい動物のデザインが印象的な商品。お店でもベストセラーの一つです。また、個人的に大好きだったカードは、オレンジ色の景色に小さな羊たちがデザインされたもの。幼いころの思い出が蘇る素敵な商品でした。
羽車の会社としての魅力は、そこで働く人たち、そして企業姿勢だと感じます。工場にはフレンドリーでオープンな人たちが、それぞれの仕事に誇りをもって働いています。また、日本の伝統文化を意識しつつも、常に現状には留まらず新しいことに挑戦している姿がこの会社の強みだと思います。
1世紀に渡る魅力に溢れた老舗企業である羽車に、心からお祝いを申し上げます。

カリグランヌの店内。ヴァネッサさんセレクトによる、シンプルで美しいステーショナリーが並ぶ。

社長とドイツ製活版印刷機

社長とドイツ製活版印刷機

新居 三規人

株式会社 新居パック

今から12年ほど前のこと、羽車様の取引先が集まる会合で、杉浦社長から活版印刷機についてお話を伺いました。ドイツ製の活版印刷機を購入して帰られたということで「活版印刷の柔らかく温かみのある印刷がとても好きです」と、とても嬉しそうなお顔でお話されていたのが印象に残っています。当時活版印刷機はどんどん減少していましたが、きっといつか新しい商品にお使いになるのではと楽しみにしていました。
ここ2~3年、新聞、テレビ等で活版印刷の良さが見直され、度々報道されています。杉浦社長の先を読まれる力と、必ず商品に活かすという強い意志に改めて感心し尊敬の念を強くしました。
創立100周年本当におめでとうございます。次の200年に向かって益々ご発展されますように……。羽車製品の出荷用段ボール箱を作っています

名探偵のような電気修理

名探偵のような電気修理

石田 祝久

力電業

電気関係全般でお世話になっております。僕は2代目で、羽車さんとの関係はまだ30年位です。小学生のころ、休みの日には父の仕事を手伝い、松原市にあった工場へ出向いたことを思い出します。その後、18歳から仕事を始め、父が58歳、僕が26歳の時に「後は任せる」と電気屋を託されました。それからは、電気のトラブルや増設、工場内の移動、機械の増設配線があると足を運びました。
以前の工場は隣に社宅寮があり、夜に電気が飛んだりすることも。毎回「名探偵コナン」のように原因を調査しに行きましたね。本当に大変でしたが、いい経験をさせてもらいました。そのおかげか、どんな現場でもいける自信がつきました。そんな風に僕を育ててくれた羽車さんでもあるので、とても感謝してます。どうぞ、これからも末永くよろしくお願いいたします。本当に100周年おめでとうございます。
エアコンの修理もお任せください

飛び込みからの縁

飛び込みからの縁

田中和之・元川啓子

ダイヤモンドハウジング

創業100周年を心よりお祝い申し上げます。羽車さんとのお取引きは、清掃の個人商店のころ飛び込みで訪問しましたところ、清掃を長く続けていた方がちょうど怪我をされたタイミングでした。そこで治るまでの期間限定で、会社と寮の清掃を受けることになりました。その10年後、1999年9月よりダイヤモンドハウジング(法人)として、建築関係も対応することになり、今に繋がっていると思います。堺市に移転してからは、清掃はすべて社内当番で行う方針となり、本格的な清掃を年2回だけ受ける以外は、修繕や改装が中心となりました。
他のエピソードとしては、2010年に創部された羽車ゴルフ部です。2013年から開催している羽車ゴルフコンペに呼んでいただきましたが、第1回大会は妻である弊社社長が、第3回大会では専務の私が優勝しました。すると翌年より呼んでいただけなくなりました。真面目な方ばかりでいい会社だと思っておりますが、ゴルフはもう少し励まれることをおすすめします 笑
100周年記念コンペの招待状をお待ちいたしております。

また一緒にラウンドしましょう

メールやSNSの時代だからこそ

メールやSNSの時代だからこそ

むらかみかずこ

一般社団法人手紙文化振興協会

今、「人と心地よくつながりたい」というすごく大きなテーマが、私たちの心に生まれているように思います。
その手段の一つが手書きの手紙です。手紙は人との’ほどよい距離感’を保つもの。SNSやLINEのように‘いいね’や‘既読’に左右される必要がなく、相手のことを想像しながらじっくりと考えて気持ちを伝えられます。
羽車さんの商品はデザインにエスプリが利いていてエレガントです。書きやすく、男女を問わず使いやすい点からも、ビジネス・プライベートいずれの場面でも重宝します。
100周年という大きな節目を迎えられましたこと、心よりお慶び申し上げます。私はこれからもずっと羽車さんの商品を使います。

ユニークな宿題を楽しみに

ユニークな宿題を楽しみに

桝 隆司

平和機械株式会社

杉浦社長から箔押・エンボスについてお問い合わせ頂いたのは、20年余り前のこと。それ以来幾度となく、ユニークで少し難しいものづくりについての宿題を頂いてきました。電話が鳴る度に「今度はどんな宿題が出るのだろう?」と、ワクワクとドキドキが混じった緊張が走ります。欧米のレターヘッドの伝統である銅版印刷についても、冷や汗をかきながら情報をかき集め、勉強したのを覚えています。
お題の背景からは「使い捨てにならない紙製品を創りたい」「飾って置きたくなるペーパーアイテムを提供したい」という情熱、強い想いが伝わってきました。一つ一つこなすことで、ステーショナリーとは何か、印刷とは何か、心と心をつなぐという紙製品の価値の根幹を学ぶことができたような気がしています。
100年ほど前、岡倉天心は『茶の本』のなかで「われわれは生活の中の美を破壊することですべてを破壊する」と警告しています。羽車は紙製品に「美」を注入する事で、私たちの生活にきらめきとときめきを与えてくれています。こんな会社は、100年どころか、これからずっと私たちのそばで暮らしの中の「美」を創造し続けてもらわねばなりません。
創業100周年おめでとうございます。次の宿題を楽しみにしております。羽車のサービスに欠かせない、箔押しやエンボス加工の特殊機械

ジャカルタへの道 未だ実現せず

ジャカルタへの道 未だ実現せず

鈴木 秀昭

関西紙業株式会社

「インドネシアの大手製紙工場では、封筒も製造しているらしい」との情報を聞きつけ調べたところ、製紙メーカーAPPのジョグジャカルタ工場では、製紙も製袋もやっていることが分かった。
早速1998年(平成10年)2月、杉浦敬久社長一行は、赤道越えのガルーダにて無事ジャカルタ空港へ到着した。ところが、空港の外はスカルノ大統領の失脚クーデターが盛り上がっており、封筒工場の見学は不可能とわかった。いのちの方が大事ということになって、これからどこへ行こうか。八方手を尽くして、バンコックへの目的地の変更飛行が実行された。
結局、ジョグジャカルタ見学は「杉浦社長が杉浦会長になっても」未だ実現せず、だ。百年も会社が続くのも大変なことだと思うが、その歴史の中には、社史にも載らないこんな出来事もあったのだ。
あらたまりまして、百周年おめでとうございます。

長い付き合いであることがわかる、羽車封筒の代理店を表す看板。50年以上も前のもの。